ATPツアーの中で、グランドスラムやNitto ATP Finalsに次いで大会ランクが高いとされるマスターズ1000。年間を通して9大会行われ、その成績は年間ATP世界ランキングにも大きく影響しうる。
そんな注目のマスターズ1000、今年で13回目を迎えるロレックス上海マスターズが2025年10月1日(水)に開幕を迎える。数々のドラマを生み出してきた同大会、その見どころをテニス解説者の辻野隆三と鍋島昭茂アナウンサーが徹底解説!過去の名勝負や今年の見どころを紐解いていく。
2018年のチョリッチ
鍋島:ATPツアーの「マスターズ1000」上海大会を前に、注目ポイントを伺うこの企画。今回もU-NEXTの解説でおなじみの辻野隆三さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
辻野:今回もよろしくお願いします。前回のシンシナティ編は、少し喋りすぎたかなと心配していたんです。ちょっとマニアックすぎたというか、古い話に行き過ぎてしまって(笑)。
鍋島:いえいえ、シンシナティという大会名から、すぐにマーディ・フィッシュの名前が出たり、会場近くの遊園地の話にまで広がったりするのは辻野さんだけですよ。
辻野:いやいや、そんなことないですよ(笑)。
鍋島:さて、今回は上海です。早速ですが、これまでの上海マスターズで最も印象に残っている試合やプレーヤーをお互い発表しましょう。
辻野:一人に絞るのは難しいですが、やはりこれかなというのはありますね。
鍋島:では、まず私から発表しますね。鍋島はこれです。「2018年のボルナ・チョリッチ」。
辻野:来た! あれはすごかった。決勝は誰に負けたんでしたっけ?
鍋島:ジョコビッチです。実はこの2018年の上海、私は「鍋島アナと行く観戦ツアー」で現地に行っていたんです。何人かのテニスファンの方を引率していました。
辻野:そうでしたね! 僕は日本で決勝の解説をしていました。なので、生では見ていないんです。
鍋島:この年のチョリッチは、まず大会序盤でデル・ポトロに勝つんです。ただ、その試合でデル・ポトロは右膝を痛めて途中棄権してしまう。今思うと、あの怪我が彼の選手生命を大きく左右した、ターニングポイントのような試合でした。
辻野:そうでしたか。
鍋島:そして準決勝の相手がフェデラー。当時、チョリッチは連戦の影響で右足だったかを痛めていて、フォアハンドがしっかり振れない状態だったんです。フォアサイド側が明らかにダメでした。
辻野:はいはい、そうでしたね。
鍋島:では、フェデラーがどう攻めたと思いますか? おそらく解説でも話していたと思いますが、彼はチョリッチのバックサイドばかりを攻めたんです。つまり、チョリッチが痛めている箇所を意図的に狙わなかった。
辻野:それはあるかもしれないですね。相手に合わせることで、自分のプレーのリズムが崩れてしまうこともありますから。
鍋島:素人が見ていてもわかるくらい、フェデラーの攻め方には意図を感じました。若手に対する気遣いだったのかもしれないし、あるいは自分のフィーリングを大切にした結果だったのかもしれません。結果的にチョリッチはその試合を耐え抜き、フェデラーに勝利します。そして決勝の相手がジョコビッチ。彼は逆でした。徹底してチョリッチの痛いところを突いていきました。
辻野:でも、それはどちらが正しいということではないんですよね。その時の選手それぞれの考え方ですから。決勝はかなり競った試合でしたよね?
鍋島:ええ、競りました。チョリッチも本当に頑張りました。だからこそ、デル・ポトロのことも含めて、この2018年のチョリッチの勝ち上がりはすごく印象に残っています。
辻野:センセーショナルでしたよね。ガーンと来た感じがありました。フェデラーとジョコビッチ、どちらが良い悪いではなく、それぞれの価値観やその瞬間の判断が対照的で興味深いですね。
2017年のフェデラー vs. ナダル
鍋島:では、専門家の辻野さんは誰を挙げますか? Big4(フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレー)ではないですか?
辻野:いえ、Big4です。
鍋島:ということは、もう分かりました。「アンディ・マレー」ですね。
辻野:その通りです(笑)。2016年のマレーです。あの年は、彼が怒涛の勢いで世界ランキング1位へ駆け上がったシーズンでした。
鍋島:まさにあの時期でしたね。
辻野:2016年のマレーの活躍は、今でも信じられない出来事だったと感じています。この年はリオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得し、その足でシンシナティの大会に出場しました。
私はその時シンシナティの現地にいたのですが、マレーは決勝でチリッチに敗れます。当時の世界ランキング1位はジョコビッチで、2位がマレー。しかし、二人のポイント差は倍近く離れていました。だから、その時点でマレーが年間1位になると思っていた人は誰もいなかったはずです。
鍋島:それほどの差があったんですね。
辻野:でもある時、彼の陣営のスタッフに聞いた話があります。実はマレーは大会期間中に肩を痛めていて、チーム内では棄権するかどうかを話し合ったそうです。その時、彼はトレーナーに「これは出場を続けることで、悪化する痛みか?」と尋ねました。トレーナーが「これ以上ひどくなることはないだろう」と答えると、マレーはこう言ったそうです。「僕は年間1位を狙っているから絶対に出る」と。
鍋島:周りは驚いたでしょうね。
辻野:ええ、ポイントが倍も離れている状況でしたから、陣営の誰もが「えっ?」と一瞬固まったそうです。するとアンディは、「ここからノバク(ジョコビッチ)はポイントを守る一方で、僕には失うものがない。僕が勝ち続ければ、絶対に上回れる」と言い切ったと。その話を聞いて、トップ選手はそういう視点で物事を見ているのかと、鳥肌が立ちました。
鍋島:我々にはない発想ですね。そこからの勢いは本当にすごかった。
辻野:全米オープンあたりから一気に加速しました。出場する大会では必ず決勝まで進んでいましたね。そして上海でも優勝し、最後はシーズンの最終戦であるATPファイナルズの決勝でジョコビッチと直接対決。「勝った方が年間1位」という、とんでもないシチュエーションになったんです。
鍋島:あの時は、上海の準決勝でバウティスタ・アグートがジョコビッチに勝ったことも大きかったですよね。
辻野:そうでしたね。そのバウティスタ・アグートとマレーが決勝で戦うという流れもありました。やはり2016年のマレーは特別です。
鍋島:こうして振り返ると、本当に面白いです。
辻野:シーズン後半のマスターズですから、ポイントも大きく、最終戦の出場権争いも絡んできます。
鍋島:そうなんです。優勝争いと同時に、年間ランキング上位8名だけが出場できるATPファイナルズへの出場権をかけた「レース・トゥ・トリノ」の動向も見どころになりますね。
辻野:ちなみに、その翌年、2017年の決勝(フェデラー対ナダル)も印象に残っています。上海は本当にドラマを呼びますね。
鍋島:ところで辻野さん、今日は何かお持ちいただいたとか。
辻野:これ、家にあったので持ってきました。
鍋島:これは懐かしい! 上海の「マスターズカップ」のキャップじゃないですか。上海は2009年からマスターズ1000の仲間入りをしましたが、それ以前の2008年まではシーズン最終戦の舞台だったんですよね。
辻野:そうです。今のATPファイナルズは、当時は「テニス・マスターズ・カップ」という名称でした。これはその時のグッズです。後ろにも「上海」と入っています。
鍋島:これを被っていたのは?
辻野:実は妻へのお土産で買ったもので、本人がすごく気に入って被っていたのを少し借りてきました(笑)。
鍋島:なんと、荻野目洋子さんの私物でしたか。貴重なものをありがとうございます。そしてもう一つ。
辻野:トランプです。なぜか家にあり、いつも机の上にあったので気にも留めていなかったのですが、よく見たら上海のものだなと。中身は普通のトランプでした(笑)。
鍋島:上海のマスターズカップは、まず2002年に一度開催され、その後、現在の会場である旗忠(チージョン)テニスセンターができてから2005年から2008年まで開催されました。その実績が評価されて、2009年からのマスターズ1000昇格につながったわけですね。
辻野:そうですね。旗忠は市の中心部からかなり遠いですよね。最初の頃は、会場の近くまで地下鉄が延びていなかった記憶があります。
鍋島:延々と車で移動しましたよね。
辻野:ええ。それで思い出したのですが、大会初年度の都市伝説があるんです。当時、選手が移動する際は、高速道路を一時的に封鎖して渋滞なく会場入りできるようにしていた、という話は有名ですよね。
鍋島:選手優先のすごい対応だなと思っていました。
辻野:でも、もっとすごい話があって。最近聞いたのですが、フェデラーはヘリコプターで移動していた、というんですよ。これ、本当なんですかね?
鍋島:あのフェデラーなら、なんだかあり得そうな話ですね(笑)。
ムゼッティの躍進に期待
鍋島:ここからは今年の注目点、そして優勝予想を含めて話を進めていきたいと思います。まず昨年を振り返ると、優勝がシナー、準優勝がジョコビッチ、ベスト4にマハーチとフリッツ。そしてベスト8にはメドベージェフ、メンシーク、アルカラス、ゴファンといったメンバーが名を連ねました。
辻野:マハーチは、アルカラスに勝ったんですよね。
鍋島:準々決勝で7-6、7-5でした。アルカラスは去年、ベスト8で敗れています。 上海のサーフェスなども考慮すると、今年の優勝争いはどうなるでしょうか。9月18日現在のエントリーリストを見ると、上位8シードの選手は皆、名前が残っています。アルカラス、シナー、ジョコビッチ、ズベレフ、シェルトン、フリッツ、デミノー、ムゼッティです。
辻野:はい。
鍋島:これは「レース・トゥ・トリノ」とも絡んできますが、誰が勝ち上がってくるのか。早速、優勝予想を書いていきましょうか。
辻野:これはもう、コテコテな予想になっちゃいますけどね(笑)。
鍋島:では、「本命」「対抗」「要注意人物」という形で、それぞれ3人ずつ挙げていきましょう。もちろん、あくまで素人から見た予想ですが、私は本命がシナー、対抗がアルカラス。そして大穴でムゼッティです。
辻野:なるほど。
鍋島:なぜシナーを上にしたのかは、また後ほどお話しします。現状ではアルカラスの方がランキングも上ですし、状態も良いとは思うのですが、どうも上海ではナダルといい、アルカラスといい、スペイン勢に勝ち切るイメージがないんです。あくまで個人的な印象ですが。
ピーキング的にも、全米で一度ピークに達した分、少し落ちてくるのではないかと。そしてムゼッティを選んだのは、やはりこの大会だけでなく、シーズン最終戦の「トリノ」がかかっているからです。
彼はイタリアの選手ですし、全米ではシナーに敗れるなど、少し存在感を示しきれていません。ここでアピールしたい、そしてトリノ行きの安全圏に入りたいという気持ちは強いはずです。そういった背景もあって、ムゼッティを入れさせてもらいました。どうでしょうか?
辻野:いや、いいと思いますよ。「どう?」って言われても、バッチリとしか言いようがないです(笑)。
鍋島:いえいえ、ぜひ専門家のご意見をお願いします。
地元のシャン・ジュンチェン、台風の目となるか?
辻野:はい、ではいきます。上の2人は同じです。
鍋島:やはり、アルカラスとシナーですね。
辻野:はい。そして3人目は、シャン・ジュンチェンです。
鍋島:おお、中国のシャン・ジュンチェンですね!
辻野:そうです。彼は地元中国の選手ですし、大きな力をもらえるはずです。それに、彼は今「飢えている」と思うんです。去年あたりはかなり名前が出てきて、「来たな」という感じがあったじゃないですか。でも今年は3月に足の手術をして、少しツアーから離れていました。
鍋島:はい、手術から復帰してきたところですね。
辻野:ええ。だからこそ、体調を万全に整えてこの大会に臨んでくるでしょうし、何より勝利に飢えているはずです。目が離せない、大暴れしてくれるような存在になるかなと思っています。
鍋島:シャン・ジュンチェンのイメージというと、若くてレフティで、何でもできるオールラウンダーという印象があります。辻野さんがご覧になって、特に彼の優れている点はどこでしょうか?
辻野:やはりフォアハンドで攻撃できる点と、その器用さでしょうね。ハードヒットももちろんできますし、とにかく器用です。
鍋島:ネットプレーも積極的ですよね。
辻野:そうそう、綺麗なテニスをします。去年でしたっけ、ウィンブルドンでディミトロフ相手に2セットアップから逆転負けした試合がありましたよね。
鍋島:ありましたね。
辻野:ああいう試合も印象に残っていますし、今年は香港で錦織選手とも対戦しました。そう考えると、まだ20歳と若いですし、非常に楽しみな選手です。
鍋島:例えば、現在中国人選手で唯一トップ100に入っているブ・ユンチャオケテや、ジャン・ジジェンなど、いかがでしょうか。
辻野:そうですね、ジャン・ジジェンの存在は大きいと思います。
鍋島:彼の活躍があるから、他の選手も続いてくる感じがします。体も強そうですし、彼の存在は中国テニス界にとって大きいですよ。他にもウー・イービンもいますし、今挙げた4人が中国のトップ選手たちですね。怪我でランキングを落としている選手もいますが、楽しみです。
辻野:シャンは地元ですからね。ワイルドカードももらえるでしょうし、中国人選手はみんな大暴れするんじゃないですか。
鍋島:シャンという名前が出たのは新鮮でした。僕は、辻野さんはシェルトンを挙げるのかなと、ひそかに思っていました。肩の故障がありましたけど。
辻野:シェルトンは肩の怪我がね…無理はしてほしくないですね。
鍋島:本当にそうですね。彼のキャリアはまだまだ長いですから。
“衰え知らず”ジョコビッチが再び頂点に?
鍋島:この上海マスターズに限らず、全米オープンの頃から「シナーとアルカラスに続く第三の男は誰か?」という議論がされています。実はジョコビッチも記者会見で「若手の中から彼らに続く選手が出てくるのが楽しみだ」と語っていたんですよ。でも、蓋を開けてみれば、その第三の男はジョコビッチ自身だったという(笑)。すごい38歳ですよね。
辻野:すごいですよ。どうしても年齢のことがクローズアップされて、「現役はいつまでやるんだ」という雰囲気をメディアが作ることがあるじゃないですか。もしジョコビッチが引退しなきゃいけないなら、多分ほとんどの選手が引退しなきゃダメですよ(笑)。どう考えたって世界ランク3位なんですから。
鍋島:38歳のシーズンで、全豪、全仏、ウィンブルドン、全米と、四大大会すべてでベスト4以上ですからね。普通はありえません(笑)。
辻野:グランドスラムの最多優勝記録をさらに塗り替えそうな気がします。絶対狙っていますよ。
鍋島:いけると思います。ここ1、2年はシナーとアルカラスの2強体制で来ていますが、テニスは何が起こるかわかりません。どちらかにアクシデントがあって早期敗退した時に、スッと勝ち上がってくる可能性は十分にありますよね。
辻野:彼はそういう経験を何度もしてきていますし、見てきていますから。自分のピーキングの合わせ方というか、感覚が急に研ぎ澄まされて、肉体的にもさらに進化するような瞬間があることを、彼は知っているんだと思います。
鍋島:まさに。だから僕も、本当はここにジョコビッチと書きたかったんです。ただ、彼はすごすぎるので、一旦置いておこうと。でも冷静に考えると、上海で最も相性がいいのはジョコビッチなんですよね。
辻野:そうですね。
鍋島:過去4回も優勝していますから、実績は断トツです。
ちなみにジョコビッチは、全米の前に「第三の男」候補として、メンシークとルーネの名前を挙げていました。
辻野:ああ、なるほど。
鍋島:ただ、ルーネに関しては「好不調の波が激しいのが課題だ」とコメントしていましたね。
というわけで、ロレックス上海マスターズ。皆さん、ぜひU-NEXTで連日お楽しみください。ありがとうございました。
▼10月1日開幕『マスターズ1000 上海』はU-NEXTでライブ配信、見逃し配信します
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